Twitter字数足りない

早起き苦手な大学3年生のブログ

これを読めば絵画の見方がわかる(かもしれない)その1

 

はじめに

アートって謎。この絵、どこがいいの?何が描かれているのかよくわからない。とりあえず解説見ておけばいいや……

こんなふうに思っている人は、結構多いのではないでしょうか。そのような人でも絵の見方さえ知っていたら、作品鑑賞を楽しめたのかもしれません。

そこで、

  1. 美術館に行っても楽しくない。解説をすぐ見るだけ。足が疲れる。絵の見方がわからない。
  2. 課題で美術館に行ってレポート書けって言われたけど何書けばいいの?

これらのお悩みや疑問を解決する一助となるために、私なりの絵画鑑賞法を何回かに分けて書きたいと思います。

※大学で教わったことも書いてあるので、私が一から編み出した方法ではないことは念のため付け加えておきます。ですが、自分なりにさまざまな授業の断片を整理し、まとめ、ほんの少しのオリジナリティーを加えた結果、このような方法に辿り着きました。講義内容丸パクリではありません。また、これが最も正しい鑑賞方法というわけではありません。念のため。

 

この絵好き?嫌い?まずはそこから

その1は初級編から。まず絵を見たときに、好きか嫌いか自問自答してみましょう直感で構いません。

次に、なぜ好きなのか・嫌いなのか、絵を見ながらその理由を考え、それを言葉にしてみましょう。たとえば「かわいい」「色がきれい」「変な顔」というように、難しく考えすぎないで大丈夫です。そこから「どのへんがかわいい?」「どんな色が使われている?」「なんで変って思ったんだろう?」と問いを深めてみましょう。絵をよく見て、絵の中から答えを探してくださいね。

その作品に似ている絵を美術館の中から探してみるのも面白いです。なぜ似ていると思ったのかも考えてみましょう。

できれば、嫌いな絵よりも好きな絵が見つかるといいですね。最初は、自分が好きな絵を中心に見て回るのもいいと思います。まずは、あなたらしく、楽しく楽しく絵を見ましょう。

 

やる気の話

対面授業が再開した。とてもうれしい。

でも学期末なのでしんどい。私は弱っちいのでちょっとしたことで休みたくなる。あれほど学校に行きたがっていたのに、どうしてだろう。

やる気にムラがあるので、好きな授業はしっかりやるけど好きじゃない授業は出席回数がぎりぎりになっている。今が頑張りどきだ。これでダメなら仕方がない。

いつも頑張れる人はすごい。私はダメ人間で、締め切りやノルマが昔から嫌いだ。普通の人に備わった時間の感覚を私は持っていない。マイペースに過ごした結果、いつのまにか締め切りに追われてしまう。そうすると、何もしたくなくなる。

最低限でしか頑張れない。締め切りにさえ間に合えばいいという考えが脳に染みついている。最近はバイトという名の現実逃避をして、無駄にお金を稼ぐ日々だ。

いつも課題を溜めてしまい、それを消化することしかできない。本当は課題+α勉強しないといけないのに、課題をあり合わせで済ませるだけでせいいっぱいだ。課題だって本当は内容が濃いものを提出したいのに。

余談だが、私はやる気が低下するとお風呂に入らなくなる。全てが面倒に感じるのだ。

入浴しないと外に出られない。でも、面倒な気持ちが圧勝し、バスルームに背を向ける。すると、肌のべとつきと汗臭さは日に日に増し、ますます外出できなくなる。

食事もやる気に左右される。私は料理が好きなので、食に興味があるときは実家暮らしとはいえ自分の食べるものくらい自分で作っている。でもやる気がないと親が作ってくれる夕飯まで何も食べられない。

面白いことに、何もしたくなくてずっと寝ていたいときもあれば、逆に寝るのが面倒になってずっと起きてしまうこともあるのだ。過眠は過眠で困るが、不眠よりはマシだ。一度寝たくないと思うと、もう眠れない。

ここまでナマケモノだと、何から手をつけてよいのかわからない。洗濯物もよく溜めてしまう。もう夏至を迎えたというのに、洗っていないセーターが何着もある。だいたいどれも2回しか着ていないから汚くはないと思うが、さっさと洗濯してタンスの中にしまいたい。セーター以外にも3週間前に着たTシャツやら何やらがまだまだある。今日洗うぞ、今日洗うぞと思っても他のことに気を取られてできない。本当に面倒なときは、家族のとまとめて親にやってもらう。でも、そうすると普通コースでごしごしと洗われてしまうのでなるべく避けたい。

なぜここまでダメ人間なのに、バイトは頑張れるのか。お金が発生するからとしか思えない。学校の課題を何とか頑張れるのは、やはり留年したら奨学金が止まるから、つまりお金の心配からだろう。

虚しくなってきた。自分がやりたいことって何だっけ?と見失いそうになる。そんなもの、元からないのかもしれない。お金さえもらえれば、それで満足なのだろうか。

中国美術の課題を必死にやったことは偉かったと思う。二徹したけど。締め切りの2週間から頭の中で構想は練っていたのに、実際に取り掛かったのは締め切りの2日前だった。締め切りまでの作業量の配分を均等にできたらよかったのに、と反省した。徹夜明けにバイトがあってしんどかったけど、課題はやっていて楽しかった。先生にも初めて褒められてうれしかった。

今のところ締め切りまで残り1週間の課題が3つもあるが、まだ手をつけていない。その間にもバイトがたくさんある。課題をやる時間はほぼないが、今週中にケリをつけたいところだ。

夜景

夜の渋谷はきれいだ。

夜景を見ると、生を実感できる。

まばゆい光は、人が作り出す。街にいる人は、生きることによって夜景を構成する。帰りを急ぐ私も、その中の一部に過ぎない。皆、生きている。私も生きている。夜景は人の営みをいとも簡単に可視化し、私に訴えかけてくる。

もっと自由に、夜の街を歩けるような世の中に早く戻ってほしいと願う。

オンライン授業むりだから自主登校する

4月の緊急事態宣言が出てから今日まで、全く学校に行けていなかった。なぜか水曜4限の科目だけ今週から対面授業になってしまったので、今電車に乗って大学がある渋谷へ向かっている。他の科目は6月20日まで在宅授業だ。本来ならお金がもったいないので定期を買う必要はないけれど、私は自主登校のために購入した。

2020年は大学に全く行けなくても我慢してきた。でももう限界だ。精神的な話をしているのではない。もちろんつらいが、大学に行かなければ課題の資料が手に入らないのだ。その本は、地元の図書館には置いていないし、ネットでも入手できないので、学校に行かざるを得ない。それに、やはり美術館に行きたい。自分の大学の資料館だけでもいいから見に行きたい。作品を直接見る機会を、コロナによってどれほど奪われたのだろう。結局モンドリアン展は緊急事態宣言と会期が被り、気づいたら終わっていた。あと数年は、モンドリアンの展覧会はやらないだろう。下手したら数十年後かもしれない。

ずっと家にいて孤独で、基本的に親かバ先の人としか人と会って話をしていない。生活リズムが崩れたのは自己管理の甘さだと思う。だけどいつまで経っても先の見えない中で、自分を律して生活するのは難しい。

5限まで授業があると、オンラインなのに授業終了時刻は18:40だ。空きコマがあってもその時間は課題をやるので自由には使えない。自宅最寄駅近くのバイト以外、本当に外に出られない。座ってばかりであまり動かないのでお腹が空かない。授業と課題とバイトに追われ、食事の時間はどんどん遅れる。横になっても胃の中にさっき食べた夕飯が残っている。内臓は消化のために起きているのでよく眠れない。一睡もできない日が続くこともある。仕方なくとんぷくを飲んで無理やり眠るのだが、翌日の夕方まで薬の効果が残ってしまい、起きられない。一日中だるくなるので本当は飲みたくない。でも飲まなければ眠れない。しんどい。

このままだと頭おかしくなるし身体も変になる。堕落して、去年と同じように何もしない一年になってしまう。4月の上旬は学校に行けてとてもワクワクして嬉しかったのに。どっちみち課題で大学図書館を利用しなければならないのなら、定期を改めて買い、平日は自主的に学校に行くことにしよう。学校で授業を受け、課題をやり、図書館を利用する。つい昨日、そう思い立ち、今日すぐ行動に移した。

大学に行くだけなのに、悪いことをしているような気分だ。「東京に来るな」と思われたらどうしよう。渋谷というだけで、遊びのイメージがこびりついているのはなぜなのか。なぜテレビはスクランブル交差点を映して「気が緩んでる」といった心無い言葉を発信し続けるのか。渋谷で遊べるのは、その分働いている人がいるということなのに。それに、繁華街だけが渋谷じゃない。会社もお店も大学も小中高校もあるし、住宅街もある。なんでもある。そもそも繁華街はなにも悪くない。全てコロナが悪い。

コロナの感染は怖いし、誰かに移してしまったらと思うと恐ろしい。でもその恐怖を上回るほど、大学へ行くことを渇望している。学費を払ってもらっているのに、なぜ行けないのだろう。なぜ施設費は安くならないのだろう。大学そのものは開いているし、緊急事態宣言だろうが利用してもいいのではないか。だって必要に迫られているのだから。

遊べないのは我慢する。でも、大学に自主的に行くことだけは許してほしい。

別れた話

約三年付き合った彼氏とこの前別れた。

私が振った。彼は私と結婚したかったみたいだけど、私は違う方向を向いていた。正直、彼の家族と上手くやっていく自信がなかった。なんでも話せる仲だと思っていたけど、別れのきっかけは話せなかった。なぜなら、彼は自分の家族を大事にする人だったから。

バ先の大学生同士でよく恋バナをするのだが、この別れ話をすると「三年付き合ってちゃんと恋愛してたんですね」なんて言われる。でも全然だ。ちゃんと好きだったけど、未熟だった。付き合っていたとき、私たちは大人の恋愛ができていると勘違いしていた。そして、この恋愛が終わりを迎えて、永遠の愛なんてないとわかってしまった。結婚はタイミングが全てだと思い知った。この恋愛は、私のイニシエーション・ラブだったのかもしれない。

別れた直後はとっても泣いたが、不思議なことに、今は全く悲しくない。切り替えて次の恋愛に行きたいのだが、こんなに大好きだった彼との恋愛をダメにしてしまった事実が、私を臆病にさせる。

好きという感情がわからなくなってしまった。「あ、いいな」と思ったら、それは好きと認定してよいのだろうか。どうやったら恋愛が始まるのかわからない。

仮に恋愛が始まったとしても、問題は山積みだ。キスやハグはしたいけど、それ以上は嫌というか、負担が大きい。疲れる。ときどき気分も悪くなる。実際ああいう行為というのは、メディアに溢れる刺激的ないやらしさは全くない。それを通して大きな幸せと深い安心を得られる。そのくらいわかっている。けど今は、妄想で十分足りるように思える。

私は恋愛に向いていないのだと思う。彼は私に合わせてくれたけど、世の中そんなに聞き分けのよい人ばかりではない。

一番の問題点は、会えなくなってしまったらどうするかだ。会えなくなると愛は簡単に終わってしまうのだろうか。バ先の人も、遠距離になった途端付き合っている意味を見出せなくなり、別れたらしい。まだ、答えはわからないが、人類共通の悩みといえる。

そもそも出会いがないのでしばらく恋愛とは距離を置くことになる。杞憂ではあるが、どうしたらよいのだろう。

次もし恋愛できるのなら、最初から穏やかな関係がいい。大恋愛はいらない。好きが大きすぎなくていい。男と女をそこまで意識せず、お互いに相手を侵蝕しない淡白な関係を築きたい。楽でいられて、時々喧嘩もしてみたい。二度と「ずっと一緒」なんて約束しない。ずっとはない。そのときそのときを積み上げて、振り返ってみれば結果的に長い間そばにいた、というのが正しい。今を共に過ごすことを大切にしたい。

燃え上がる恋愛の只中にいるならいくらでも開放的になれる。けど、冷めてしまえば美しいはずの思い出も、あんなあられもない姿で、歯が浮くような言葉を……と恥ずかしく、みっともなく感じてしまう。そうなってしまう前に、初めから淡々としていればよいのだ。

いや、付き合えなくても誰かに「好きだ」って言われただけで満足かもしれない。後は何もないくらいが今の私にはちょうどいいのかもしれない。

今なら一人でも大丈夫な気がする。二人で不幸になるより、一人で幸せがいい。結局人は一人だ。最も幸いな愛の形とは、幸せな一人と幸せな一人が同じ空間で同じ時間を過ごすことだと思う。それが叶う相手がいなければ、一人でいればいい。

イニシエーション・ラブだったけど、この三年間は無駄ではなかったのだ。私は今幸せだ。一人でも生きていけると、気づかせてくれたのだから。

再・書く余裕

 

再・自己紹介 - Twitter字数足りないでも書いたように、去年身内に不幸があった。

コロナがちょうど流行り出した2020年3月ごろに叔父の具合が悪くなり、そのまま入院。コロナではないけれど、肺が悪かったらしい。9月に、今度は伯母が倒れる。麻痺が残ったけど、伯母は強かった。リハビリを頑張って、一人で歩けるようになった。伯母の回復は、不安の日々が続いた我々親戚一同にとって、うれしい知らせだった。でも、その後すぐ、叔父が亡くなった。

 

叔父はとても優しい人だった。朗らかで、おおらかで、母や伯母たちにはあだ名で「大ちゃん」と呼ばれて、みんなに好かれていた。うちの親戚は、叔父中心に回っているようなもんだった。

叔父も伯母も母の姉弟だ。母の実家は、青果店。初めは洋食屋で、私の曽祖父はコックさん、明治生まれの曽祖母は姉さん女房で看板娘。結婚を反対されて、駆け落ちした二人が始めた店だった。

戦争の影響で営業が難しくなり、青果店に商売替えをした。叔父の代では小売ではなく、飲食店や学校への配達が主な収入源となった。叔父は一生懸命営業をして取引先を増やしていった。叔父のおかげで、ここまでやってこれたのだ。

 

三代続いた店だったが、叔父が亡くなって、看板を降ろした。

 

叔父を失って、みんな泣いていた。泣いて泣いて、みんな本当につらかった。私もつらかったけど、みんなの方がずっとつらいと思うから、表立ってつらいとは言えなかった。

 

すごく悲しかったのが、お葬式をどうするかを話しているときに、伯母が「お通夜とかは大ちゃんに聞いてから……もういないんだった、いやだあ」と言って泣き出したこと。

困ったとき、いつも相談していた叔父がもういない。いないどころか、叔父のお葬式の話をしているのに……母も私も悲しくなった。

もういないんだ。その事実がぽっかりと心に穴を開けた。

 

うちの父も「遅れてごめんねって言いながら、大ちゃんが葬式に来るような気がするね」と何度も言っていた。叔父の死は、あまりにも受け入れがたかった。今も、信じられない。

 

祖父は今もずっと落ち込んでいる。息子に先立たれ、同時に生き甲斐だった仕事も失った。自分が一番先に死ぬと思っていたのに、順番が逆になってしまったのだ。

どうしたら祖父は元気を取り戻せるのか。きっと叔父さんでなきゃ埋められない心の穴なんだと思う。私たちは無力だった。それもまた、悲しかった。

 

私たちの時間は止まってしまった。時々、涙が出る。もう元には戻らない。私が大学1年生のころは、みんな元気だったのに。叔父さん伯母さんにはすごい迷惑かけた。もっとちゃんとありがとうって言えばよかったし、叔父さんとは一緒にお酒が飲みたかったな。

かなしい。

 

伯母は、今は以前とほとんど変わらず生活できている。料理はするし、掃除もできる。買い物も一人で行ける。それだけは、本当によかった。

もっと会いに行きたい。でもコロナでなかなか上手くいかない。もちろん祖父にも会えていない。

 

2020年は最悪の年だった。コロナもあって、私のハタチの思い出は、本当に本当に一生忘れられないくらい、悲しいことばかり。

あのときは心に余裕がなかった。

 

けど今、やっと少しだけゆとりが出てきて、書きたい欲がひょっこり出てきた。更新が途絶えてから新しいことも始めたし、さよならもした。心の中に言葉が積み重なる一方なのに、話す相手がいない。

 

誰か私の話を聞いて。だから書いてる。ぴえん。

 

 

再・ディスクリプションができない

 

相変わらずディスクリプションが苦手。前よりはマシになったと思うけども。

 

考察は普通に入れていいらしい。自分なりのものの見方はきちんと書くべき。ただ事実を羅列すればいいというわけではない。

普通に作品の印象、感じたことは書いていい。ただし根拠は必要。

構成や段落を意識する。文章のリズムを考えて書く。似たような言い回しは続けて使わない。とにかく簡潔に。

 

今の悩みはディスクリプションと引用した画家の言葉と考察とを結びつけて書けないこと。あと、未だに正しい引用方法がわからない。参考文献いらないよーっていう課題ばかり出るので練習ができない。くそぅ。

 

素直に目で見て感じたことを書けばいいのに、頭で見てしまって失敗する。それも課題。

みんなディスクリプション上手くできてていいなー。進学するの自信なくなってくる。