Twitter字数足りない

早起き苦手な大学3年生のブログ

再・書く余裕

 

再・自己紹介 - Twitter字数足りないでも書いたように、去年身内に不幸があった。

コロナがちょうど流行り出した2020年3月ごろに叔父の具合が悪くなり、そのまま入院。コロナではないけれど、肺が悪かったらしい。9月に、今度は伯母が倒れる。麻痺が残ったけど、伯母は強かった。リハビリを頑張って、一人で歩けるようになった。伯母の回復は、不安の日々が続いた我々親戚一同にとって、うれしい知らせだった。でも、その後すぐ、叔父が亡くなった。

 

叔父はとても優しい人だった。朗らかで、おおらかで、母や伯母たちにはあだ名で「大ちゃん」と呼ばれて、みんなに好かれていた。うちの親戚は、叔父中心に回っているようなもんだった。

叔父も伯母も母の姉弟だ。母の実家は、青果店。初めは洋食屋で、私の曽祖父はコックさん、明治生まれの曽祖母は姉さん女房で看板娘。結婚を反対されて、駆け落ちした二人が始めた店だった。

戦争の影響で営業が難しくなり、青果店に商売替えをした。叔父の代では小売ではなく、飲食店や学校への配達が主な収入源となった。叔父は一生懸命営業をして取引先を増やしていった。叔父のおかげで、ここまでやってこれたのだ。

 

三代続いた店だったが、叔父が亡くなって、看板を降ろした。

 

叔父を失って、みんな泣いていた。泣いて泣いて、みんな本当につらかった。私もつらかったけど、みんなの方がずっとつらいと思うから、表立ってつらいとは言えなかった。

 

すごく悲しかったのが、お葬式をどうするかを話しているときに、伯母が「お通夜とかは大ちゃんに聞いてから……もういないんだった、いやだあ」と言って泣き出したこと。

困ったとき、いつも相談していた叔父がもういない。いないどころか、叔父のお葬式の話をしているのに……母も私も悲しくなった。

もういないんだ。その事実がぽっかりと心に穴を開けた。

 

うちの父も「遅れてごめんねって言いながら、大ちゃんが葬式に来るような気がするね」と何度も言っていた。叔父の死は、あまりにも受け入れがたかった。今も、信じられない。

 

祖父は今もずっと落ち込んでいる。息子に先立たれ、同時に生き甲斐だった仕事も失った。自分が一番先に死ぬと思っていたのに、順番が逆になってしまったのだ。

どうしたら祖父は元気を取り戻せるのか。きっと叔父さんでなきゃ埋められない心の穴なんだと思う。私たちは無力だった。それもまた、悲しかった。

 

私たちの時間は止まってしまった。時々、涙が出る。もう元には戻らない。私が大学1年生のころは、みんな元気だったのに。叔父さん伯母さんにはすごい迷惑かけた。もっとちゃんとありがとうって言えばよかったし、叔父さんとは一緒にお酒が飲みたかったな。

かなしい。

 

伯母は、今は以前とほとんど変わらず生活できている。料理はするし、掃除もできる。買い物も一人で行ける。それだけは、本当によかった。

もっと会いに行きたい。でもコロナでなかなか上手くいかない。もちろん祖父にも会えていない。

 

2020年は最悪の年だった。コロナもあって、私のハタチの思い出は、本当に本当に一生忘れられないくらい、悲しいことばかり。

あのときは心に余裕がなかった。

 

けど今、やっと少しだけゆとりが出てきて、書きたい欲がひょっこり出てきた。更新が途絶えてから新しいことも始めたし、さよならもした。心の中に言葉が積み重なる一方なのに、話す相手がいない。

 

誰か私の話を聞いて。だから書いてる。ぴえん。